日本においては「キャリアコンサルタント」が、クライアントのキャリア=職業人生について、伴に考える役割を負っている。
わが国における「キャリアコンサルタント」の歴史は浅く、1990年代後半以降に「キャリア」という言葉の普及の後に登場したもの。
日本における「キャリアコンサルタント」の源流とも言える、
アメリカにおける「セラピスト」について、社会学者ロバート・N・ベラー著「心の習慣—アメリカ個人主義のゆえく」から見てみよう。
日本における「キャリアコンサルタント」の役割と、アメリカにおける「セラピスト」の役割は同じである、と断言されることに抵抗を持つ人も多いだろう。
しかしながら、資本主義社会における「キャリアコンサルタント」の位置づけおよび役割を、修飾語なしで明確にすることは、キャリアコンサルタント自身にとっても有益と思う。
ベラーによれば、
「セラピストは、経営管理者と同じように、もろもろの資源を効率的な行動へと動員する特殊技能者である。
たっだここでは、資源は種に個人の内面のものであり、効率の物差しは個人的満足というつかみどころの基準である。」
セラピストが捉えている、
「人生の目標は、職業と『ライフスタイル』との間に、経済的に可能で心理的に容認できるなんらかの組み合わせを、一言で言うと『機能する』組合せを実現することである。
経営管理者と同じくセラピストは、与えられたものとして目標をそのまま受け入れる。彼らにとって焦点は手段の効率性の方にある」。
セラピストがクライアントと伴に思考する作業において、人生の目標に置くのは、クライアントが容認できる生活の質をどのような職業に就くことで保っていくか、という点に置かれることになる。
「経営者とセラピスト―20世紀のアメリカ文化の輪郭は、概ねこの二者の存在によって定義される。
(セラピストは)人生の規範的秩序とその理想的人物像を、また良い人生のイメージを、さらにはその達成方法を提示している。
その中心にあるものは自律的個人である。
この場合の自律的個人とは、…個々人自らが判断する生活効率の基準にもとづいて、自らの演ずべき役割となすべきコミットメントとを選択することができると想定された存在である」。
職業はここでは、生活のため「自ら演ずべき役割」という俯瞰した表現がなされている。
そして、セラピストはクライアントが心理的に容認できる「自ら演ずべき役割」に、辿り着くための「鏡」の役割を演じることになる。
セラピストが治癒する対象は、
「自己を高め、力をつけて、社会において他社とうまく関係できるようにし、他者の要求に吞み込まれることなしにある種の満足を達成するという形態をとる。」
一方で、セラピストがクライエントに行う行為に抜け落ちている点は、
「人生を生きるに値するものにするのは何か」である。
人生の意義については、セラピストは答えない。答えられない、のかもしれない。
ベラーは資本主義社会における職業の意味と、職業と生活の組み合わせを伴に考えるセラピストの役割とを、とても冷静で、俯瞰して見ていた。
現在、日本における「キャリアコンサルタント」と、ベラーの見ていた20世紀の「セラピスト」、果たして「異なるものである」と主張できるだろうか。
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